恋文の技術

 森見登美彦著「恋文の技術」(ポプラ文庫)を読了した。
 以前の記事で森見氏の3作品について書く旨述べたが,その後にこの作品を読んだのである。
 この作品は,既に言及した3作品に劣らず楽しめた。
 この作品の内容を簡単に言えば,いかなる女性も手紙一本で籠絡できる技術を身につけるべく文通武者修行に励む大学院生による書簡集の形をとった小説である。
 それは完成したなら,本当にすごい技術である。

 森見氏の小説らしく,人を食ったようなおもしろいエピソード満載の物語である。
 主人公が恋い焦がれる女性に対して書こうとした恋文の「失敗書簡集」の章があり,そこから恋文を書く場合の九つの教訓が導かれるのであるが,これが妙に含蓄の深い内容であるようにも見える。

 その九つの教訓は,ネタバレになるので黒い文字で書くが

大言壮語しないこと
卑屈にならぬこと
かたくならないこと
阿呆を暴露しないこと
賢いふりをしないこと
おっぱいにこだわらないこと
詩人を気取らないこと
褒めすぎないこと
恋文を書こうとしないこと
である。
 結果として得られたこの教訓だけを見ると不可思議に思える部分もあるかもしれないが,失敗書簡集を読むとその言わんとすることがよく分かるような気がする。
 そして,それを踏まえたものであろう最後の手紙はなかなか良いと思うのである。

 かなり楽しめる小説であった。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

四畳半神話大系

 森見登美彦著「四畳半神話大系」(角川文庫)を読了した。
 これがどういう作品だと言えば良いのか,なんとも一言では言いにくい物語である。
 ネタバレ的になるので黒い文字で書くが,京都の大学の学生を主人公に,大学入学時に勧誘されたいくつかのサークルにそれぞれ入った場合のその後の成り行きをパラレルワールドとしてそれぞれ描いた物語であるということになろうか。
 パラレルワールドであるはずなのに,どの成り行きもなんと代わり映えのしないことか。
 森見登美彦氏の小説の主人公はたいていそうであるとおり,この主人公も自らの不幸(と本人が思うもの)を他人のせいにしがちなところが垣間見えるのであるが,正に他人のせいにしているだけであることがよく分かるので,大変おもしろい。
 そして,それが実はそんなに不幸なわけではないことが読者にはよく分かるしくみになっているところが,また,大変おもしろい。

 この一連の物語の中で大変な活躍を見せる小津は大変ユニークな存在であると思う。
 主人公と「運命の黒い糸」で結ばれているという小津の悪友ぶりというか,小津と主人公の腐れ縁ぶりというか,その妙な掛け合いはなんとも楽しい限りであった。
 小津と主人公との間で交わされた

「僕なりの愛ですわい」
「そんな汚いもん,いらんわい」
というやり取りが妙に記憶に残った。

 この物語の魅力はなかなか言い尽くせないのであるが,非常に満足度が高い作品であった。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

夜は短し歩けよ乙女

 森見登美彦著「夜は短し歩けよ乙女」(角川文庫)を読了した。
 例によって京都の大学やその周辺を舞台にした小説であり,「黒髪の乙女」に密かに想いを寄せる「先輩」と,正にその「黒髪の乙女」とが綴る物語である。
 なんと可愛らしい小説であることか。

 森見登美彦氏の他の小説ではこの場合で言う「先輩」のような立場の人の視点で物語が語られることが多いのであるが,この小説の場合,「先輩」と交互に「黒髪の乙女」の視点で語られる部分があり,それが何とも言えない可愛らしいお話になっているのである。
 この可愛らしさがどこから来るのか,それは明らかであると思う。
 断言しよう,この「黒髪の乙女」の文章は確かに可愛らしいが,このような内心を有する女性が実際に存在するとは到底考えられない。
 この「黒髪の乙女」は,森見登美彦氏の空想(妄想)の産物であり,そうであるからこそ可愛らしさが空想(妄想)でしかあり得ないほど結実しているのであろう。
 もちろん小説なのだから,それで良いのだと思う。
 読んでいる間,本当に楽しくてしようがなかった。

 様々な場面が心に残る。
 古本市に足を踏み入れる己が喜びと意気込みを表現するために二足歩行ロボットのステップを踏む「黒髪の乙女」,幼い頃から愛用しているという独自に開発した万能のお祈りである「なむなむ!」を唱える「黒髪の乙女」,学園祭で緋鯉のぬいぐるみを背中に背負ってオモチロイことを探し回る「黒髪の乙女」など,どの場面をとってもちょっとおかしいのであるけれど,それが魅力になっている。
 「先輩」と「黒髪の乙女」を取り巻く人たちも,非常におもしろい。
 パンツ総番長にしろ,象の尻について語る須田紀子さんにしろ,登場人物は変てこな人ばかりなのであるが,それぞれの個性が際立っており,「先輩」や「黒髪の乙女」が絡んだ時の会話がなんともユニークである。
 例えば,象のお尻に関する須田さんと「黒髪の乙女」との会話などは

「でもね,どれだけチクチクしてても,象のお尻って,なんだか良くない?」
「同感です。丸いし,とても大きいですしね。丸くて大きいものは良いものですね。」
「地球も丸くて大きいしね。」
という訳の分からない会話なのであるが,なんだかおもしろい。

 角川文庫版には巻末に羽海野チカ氏が「解説」として「黒髪の乙女」のイラストを描いているのであるが,これも大変可愛らしい。
 最初から最後まで満足できる楽しい一冊であった。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

有頂天家族

 森見登美彦著「有頂天家族」(幻冬舎)を読了した。
 京都を舞台にした,狸と天狗と人間の物語である。

 非常に個性的なキャラクターが数多く登場する作品であるが,主人公の父である下鴨総一郎の数々の発言は強く印象に残った。
 総一郎は,作中でも既に故人故狸であるから,様々な回想の中でのみ登場するのであるが,その態度物腰の立派さが素晴らしい。
 自らが狸鍋にされる直前に金曜倶楽部の布袋さんと交わした会話は,狸の世界における彼の大物ぶりを十二分にうかがわせるものであるし,天狗の赤玉先生との別れ際の会話も大変良かった。
 作品中では俗物ぶりやいい加減さがばかりが目立つ赤玉先生であるが,総一郎との別れの場面は胸に迫るものがあった。
 赤玉先生が

総一郎よ
わしは、お前と別れるのが残念である
ここだけの話であるが・・・
と話す場面などは,「残念である」とのシンプルな言葉の中に万感の思いが詰まっているように感じた。
 総一郎が出てくる場面は大変締まった雰囲気になる。
 これも総一郎の大物の狸としての存在感故であろう。

 金曜倶楽部の布袋さんも魅力的であった。
 布袋さんの「狸が好き」で,「好きだから狸を食べる」,「食べることは愛である」という発言は分かるような分からないような妙な理屈だったが,最後に至って「食べられないのも愛である」と言い出した辺りでは吹き出してしまった。

 全体として著者が何をしたかったのかよく分からない小説ではあったのだが,おもしろい要素がいろいろ詰まっていて楽しい作品であった

| | Comments (0) | TrackBack (0)

森見登美彦

 最近東野圭吾氏の著作を多く読んでいる旨書いたが,そのほかに森見登美彦氏の著作を色々と図書館で借りて読んでみている。
 私のふだんの読書の対象であるミステリ小説の範ちゅうからは明らかに外れているのであるが,この人の小説は妙な味があってツボにはまると大変おもしろい。

 今までに読んだ森見登美彦氏の作品は

 太陽の塔
 四畳半神話大系
 きつねのはなし
 夜は短し歩けよ乙女
 新釈・走れメロス 他四篇
 有頂天家族
 宵山万華鏡
 美女と竹林
の8作品である。

 多くの作品が京都を舞台にしており,京都における腐れ大学生の学生生活が大変魅力的に描かれているものが多い。
 作品世界がどこか共通しているのか,同じ人物(と思われる特徴的な人物)が複数の作品に登場しており,そこに垣間見える森見ワールドが大変楽しげである。
 きっと錯覚だと思うが,京都で学生生活を送ったら楽しかったかもしないという気にさせられる。

 特に,このうち3作品は大変おもしろかったので,機会を改めて感想を書いてみたい。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

ある閉ざされた雪の山荘で

 東野圭吾著「ある閉ざされた雪の山荘で」(講談社文庫)を読んだ。
 以下,感想を書くに当たって,トリックの根幹に触れるので,大部分を黒い文字で書くことにする。
 読みたい人は,範囲指定して反転させて読んでほしい。

 私は,平均的な人と比べると多くのミステリ小説を読んできた方だと思うし,文章の意味するところを厳密に読み取ることに比較的慣れている方であると思う。
 したがって,私がミステリ小説を読む場合,最近は,いわゆる「叙述トリック」に引っかかることはあまり多くなかった。
 小学生の頃に読んだアガサ・クリスティの例の作品にはしっかり引っかかって驚がくしたものであるが,大人になってから読んだウィリアム・L・デアンドリアの例の作品などは,著者が仕掛けを始めたところからしっかりそのトリックに気づいてしまったくらいである。

 しかし,この「ある閉ざされた雪の山荘で」には心の底からびっくりさせられた。
 3人称小説に見せかけた1人称小説なんて,そんな馬鹿馬鹿しいことをよくも考えたものだと思う。
 今,「馬鹿馬鹿しい」と表現したが,これは賛辞であると考えていただきたい。
 確かに,この小説は,「地の文章の部分」のほかに,「特定の人物の視点によることが明示された文章の部分」があるので,そこに何か仕掛けがあるのだろうと思ってはいたのだが,まさか「地の文章の部分」が1人称小説になっているとは思わなかった。

 こんなに見事に足もとをすくわれたという読後感を持ったのは久しぶりであった。
 そういう意味で,忘れられない一冊になった。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

秘密

 東野圭吾著「秘密」(文春文庫)を読んだ。
 いわゆるミステリの範ちゅうに入る物語とは言えないであろう。
 しかし,読んでいる途中から大変胸を締め付けられるような思いに駆られた。
 感動するような物語であるとは思わないが,ある意味で心を揺さぶられる物語であり,かなりの良作であると私は思う。

 以下,ややネタバレしながら感想を書く。
 肝心なところは黒い文字で書くので興味のある人だけ反転させて読んでほしいが,本作品を未読の方は避けた方が無難であろう。

 wikipediaのあらすじに書かれている最後の部分,すなわち主人公である杉田平介の娘の藻奈美の意識がよみがえった部分を読んだ時,私は

 いや,今さら藻奈美の人格がよみがえるなんて,ありえないだろう
 これはどう考えたって平介の妻の直子の演技だろう
と思った。
 そして,やはり予想したとおりの結末であった。
 推理小説を読み慣れた読者にとっては,見えやすい結末であったと言えるであろう。

 そう思いながら読んでいた私にとって,杉田直子の立場の苦しさが思いやられてならなかった。
 この作品は,あくまでも平介の視点で描かれており,だからこそ藻奈美の人格が本当によみがえったのだと思わせようと読者をミスリードする仕掛けが一応成立しているのであるが,一方で直子がどのような気持ちでそのような演技をしていたのかと思うと切ない気持ちになったのである。
 この作品全体を,直子の視点で描けば,それはそれで苦しい葛藤を描く興味深い物語になるのではないかと思う。

 インターネット上でこの作品について検索してみると,この作品をあまり評価しない人もそれなりに多くいるようである。
 そういった感想は,大きく分けると1つは「物語の半ばで直子を疑う平介の行為がストーカー染みていることへの不快感」であり,1つは「結末で藻奈美の体を手に入れて藻奈美として生きることを選んだ直子について,直子が好き勝手なことをしていると感じた読者による直子に対するやっかみかみ交じりの不快感であるようである。
 しかし,平介の行為がストーカー染みた行為にまで及んでしまっているのは,それだけ異常な状況のもとで平介が嫉妬心に駆られていることの表現であり,仕方のないことだし,そのような平介の状態があるからこそ,直子は「自分が自分であってはいけないんだ。妻である自分のこのような状態が,善良であったはずの平介を苦しめているんだ。」と考えて思い悩み,自分を捨てて,藻奈美としてふるまうことを決意する必然性が出てくるのだと私は思う。
 そして,その直子の選択は,苦しいものではあっても,決して好き勝手をしているという種類のものではないと私は思う。

 作中,平介は,自分が直子の夫でありたいという気持ちよりも,自分が愛する直子を苦しめないように,直子にとって幸せな道を選ぼうと考え,直子を藻奈美として,すなわち娘として扱うことに決めたのである。
 そして,それを受けて,直子は,平介を苦しめないように,平介にとって幸せな道を選ぼうと考え,自分を捨てて,藻奈美として,すなわち娘として振る舞うことに決めたのである。
 お互いに,自分にとっては苦しくても「自分の愛する者にとって幸せな道を選ぶ」という選択をし,そのためにお互いに真意を隠して夫婦であることをやめなければならなかった悲しさと,それによって回復できた平穏な幸せとが微妙に入り混じっていることが,切なく胸を締め付ける感情を起こさせるのであり,そのことがこの作品の魅力になっていると,私は思うのである。

 いずれにせよ,あり得ない人格転移を前提にした話ではあるのだけれど。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

東野圭吾

 最近,図書館で本を借りて読むことが多い。

 今までの私の読書の傾向は海外の推理小説に偏っていたのであるが,図書館で本を借りるようになってから,「どうせ借りて読むのだから多少好みから外れたものがあったとしても構わないではないか」という気持ちになり,読書の間口を広げてみようと考えた。
 図書館にもよるが,海外の推理小説よりも日本の小説の方が数多く取り揃えられている傾向があるように思うので,そういう意味でも日本の小説に手を出してみようと考え始めたのである。

 そこで,読み始めた作家が東野圭吾氏である。
 ここ半年くらいの間に

探偵ガリレオ
予知夢
容疑者Xの献身
ガリレオの苦悩
聖女の救済
真夏の方程式
放課後
魔球
鳥人計画
変身
ある閉ざされた雪の山荘で
分身
秘密
レイクサイド
白銀ジャック
あの頃の誰か
を読んでみた。
 前に読んだことのある
名探偵の掟
と合わせると17冊ということになるが,まだまだ未読作品が多い。
 この作家は,かなり多作であると思う。

 個人的に東野氏の小説で興味深い点は,登場人物が警察などの捜査機関の動きについてあれこれと思い巡らすその過程がなかなか実際的であるように見えるところである。
 犯罪を計画する者も,警察の動きを予測し,その予測を計算に入れた計画を立てている場合が非常に多い。
 良い意味で理屈っぽい部分のある登場人物がよく出てくると思う。

 これまでに読んだ東野圭吾氏の作品全てについて言及する気はないが,特に印象に残った作品が2作品あったので,機会を改めて書いてみたい。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

ルクセンブルク市の中心部を歩く

 パトラッシュと行くフランダース及びその周辺の旅(27)

 平成21年9月2日の夕方,K氏と私はルクセンブルク市に入った。
 この日は,バーデン・バーデンを出発し,世界遺産3か所を回った上でここまでやってきたのであるが,ここの街並みそのものも世界遺産であるらしい。

 ルクセンブルク国立銀行の建物も,なかなか風格がある。
ルクセンブルク国立銀行 この写真の左手にはアドルフ橋があるが,この辺りはルクセンブルクの代表的な風景であるらしい。
 アドルフ橋を渡ってから,パトラッシュの記念写真を撮影した。 
アドルフ橋 これぞルクセンブルクという風景である。

 橋を渡ってすぐ右手の方に憲法広場という広場があり,上に金色の女神像がついているモニュメントがあった。
ゲレ・フラ
 これはゲレ・フラという名称の戦争記念碑らしい。
 あまりに高いところに女神像があるので,しばらく見ていると首が痛くなってきた。

 次に訪れたのは,ルクセンブルクの中心にあるギョーム2世広場であった。
ギョーム2世広場のギョーム2世像 ルクセンブルク大公ギョーム2世(オランダ王ウィレム2世)を記念した広場であり,中央にあるのはギョーム2世像である。
 なお,ギョーム2世の次のギョーム3世まではオランダ王がルクセンブルク大公を兼ねていたが,その後,オランダの王位をヴィルヘルミナ女王が継承し,当時法律上女子の継承を認めていなかったルクセンブルク大公の地位をアドルフ大公が継いだため,オランダとの同君連合が解消され,現在に至るとのことである。

 そのアドルフ大公の血をひく現在のルクセンブルク大公の大公宮も,市の中心部にある。
ルクセンブルク大公宮 宮殿としては質素な外観であるが,衛兵の詰所も設置されていた。

 徒歩圏内に見所がたくさんあって,大変充実した散策であった。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

フェルクリンゲン製鉄所

 パトラッシュと行くフランダース及びその周辺の旅(26)

 平成21年9月2日,K氏と私は,フェルクリンゲン製鉄所を訪れた。
 この日,3か所目の世界遺産である。

フェルクリンゲン製鉄所 このような製鉄所が世界遺産であるというのは,なんだか意外な感じがした。
 歴史のある大規模な製鉄所であるということなのであろう。

フェルクリンゲン製鉄所の内部 階段を登って建物の上の方へとどんどん登って行った。

フェルクリンゲン製鉄所の上からの景色 頂上は,けっこう高くて,眺めが良かった。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

«逆走行者